いきすぎず・いかなすぎずの「中庸」を知り、緩やかな養生を始めよう

予防・未病治
「これをすれば大丈夫」という健康法や養生法はありません。何事も過多・過不足があれば問題が起き、その絶妙なバランスが「中庸」だと言えます。日々の自分の体を観察し、何かあっても揺らがない「中庸」を築いておくこと、そしてその「中庸」を広く・深くしておくことが養生だと言えます。

 

「納豆が体に良い」、「ヨーグルトを食べて長寿に」などとテレビで紹介されるやいなや、お店では品切れが起こるほどよく売れるという話をよく聞きます。

あれが良い、これが良いと言われ、すぐにそれに飛びつき、また飽きるのも早いのが現代の流れに感じます。今回はそんな人に知ってもらいたい、「中庸(ちゅうよう)」についてご紹介します。

「中庸」と調べてみると、言葉の定義としては下記のように出てきます。

「中庸」の『中』とは、偏らない、しかし、決して大小や上下の中間を取りさえすればよいという意味ではない。よく、「中途半端」や「50対50の真ん中」と混同されている。中間、平均値、足して2で割るというものではない。常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ通常の感覚でも理解できるものである。

Wikipedia「中庸」より

「中庸」という概念を通じて、お伝えしたいのは、下記の点です。

  • 何かをすれば良い、という「絶対」はない。
  • 私たちの体は日々変化している。
  • 良い日も悪い日も、その日なりに過ごすことが大切。

行き過ぎても、行かな過ぎても、体にはよくありません。大切なのは、自分の体と相談し、良い時も悪い時も、それなりに生活をし続けることです。

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「中庸」は幅広い「間」と捉えられる

中庸を簡潔に表すと、「ちょうど良いバランスがとれているところ」、「行き過ぎも足りな過ぎもない」状態だと言えます。

特に「何が」というくくりはなく、そうした状態を中庸と呼びます。感情、体調、ご飯の量、味、運動、睡眠…体に関することはもちろん、温度、負荷、明暗…体の外のことに関しても同様です。

「いきすぎず、いかなすぎず」、「余りすぎず、足らなすぎず」、そのちょうど良いところを中庸としています。

例えば体に良いとされる運動も、毎日何時間もやれば疲労が蓄積し、怪我につながります。体に良いとされる食事も、たくさん食べればそれで健康に良いわけではありません。何事にも、ちょうど良いあたりがあり、そのあたりをまとめて中庸と考えます。

「中庸」と「中間」は違う

ここで大切なのは、「ちょうど真ん中」、「中間」といった意味合いよりも、中庸は広い範囲を示すということです。「10の中の5だけが中庸」、というわけではありません。

鍼灸師であり養生訓の伝達師でもある若林理砂先生の書籍にも、中庸についての記載があります。

たいていの方は、「中庸」という言葉の意味するところを「ちょうど真ん中のピンポイントで、山の頂上」みたいに考えているのですが、本来の中庸というのは、「だいたい真ん中らへんで、ちょっと凸凹もある」というものです。中庸というのは割と幅や奥行きがあるものなのです。

『東洋医学式凹んだココロをカラダから整える46の養生訓』より引用

ある一点、ある一面を中庸ととらえ、そこから動かないようにするのはかえってストレスになります。反対に、「これくらい大丈夫」と思えるくらいの気持ちの余裕が大切なこともあります。

 

真面目な人ほど見失いがちな「中庸」

真面目な人、神経質な人ほど、中庸の幅は狭く、些細なことに気を取られて気分が落ち込んでしまいます。私が治療をしていても、下記のような患者さんは要注意と感じることがあります。

  • 痛みや辛さの理由が気になる。
  • 健康番組を見ていると、全部自分に当てはまる気がする。
  • よくも悪くも勉強熱心。
  • 少しでもサボるといけない気がする。

上記のような人に知ってもらいたいのが、「どこも痛いところがなく、夜はぐっすり眠れて、朝はシャキッと目覚める。活動的に動き回り、三食しっかり食べる。」そんな人はなかなかいない、ということです。

「ちょっと歩いたら足が痛かった」、「お腹が空かなくてご飯を食べられなかった」、それくらいのこと、大半の人が経験して、何事もなかったように過ごして忘れています。しかし、そうした大したことのないようなことを、過敏に気にしてしまい、どんどん落ち込んで行ってしまう方もいます。

いい加減で大丈夫、それも中庸

良くも悪くも、「行き過ぎていなければ中庸」です。

仕事柄、生活習慣や姿勢などについて、たずねられればきちんと答えます。しかし、最後は、「あまり気にしすぎず、気楽に」とアドバイスして締めるようにしています。

患者さんとの会話をご紹介します。

「主人はタバコも吸う、お酒も飲む、運動はたまに歩くくらいなのに、何の病気も痛いところもない。それなのに私は、毎日ストレッチして、お風呂にも浸かっているのによく寝違えるし、肩もこる。そう言えば昨日腰も痛かった。」

上記の患者さんのような人が、少なくありません。

もちろん、喫煙や飲酒、飲食の乱れや運動の不足が過ぎれば体調を崩すこともあります。しかし、日々の生活をストレスなく暮らせる範囲での嗜好品、活動であれば、それが絶対に体に悪いとも言い切れません。

  • 万人に良い。万人に悪い。
  • 絶対に良い。絶対に悪い。

何でも、このようなものは存在しません。

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心身ともに健やかになる心構え「中庸」のすすめ

中庸とは、心と体に余裕を持つことだと考えます。良いことも悪いことも、何でも、ほどほどに受け止めて、ほどほどに悩み、ほどほどに工夫してみましょう。

どちらかと言うと、このほどほどや中庸の、幅を広げ、奥行きを持たせていくことが大切なのかもしれません。少しのことで揺れ動かない心と体、そのためにも、日々の養生が必要です。

しかしそれも、やり過ぎず、やらな過ぎず…「どれくらいやったら良いの?!」と、明確な答えを求めること自体、中庸から外れてしまっていることになります。

数値化できず、目に見えない部分を考えて治療するのが、東洋医学の良いところでもあり、怪しいところです。こうして考えると、修行や禅問答に近い世界観です。

「この痛みは中庸の範囲内か?」なんて、実際に痛い時に考える余裕はありません。それでも、少し休憩して、手を当ててみて、どうかな? と確認して、様子を見てみる。そのうち忘れられちゃうようなら、それで大丈夫でしょう。

日々の健康は、まずはそれくらいの気持ちで維持できます。

 

 

鍼灸指圧治療院あたしんち

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